エイトカウント要りますか?

しんせつスタジオスタッフが日頃思う自己表現についての考察や哲学っぽいことを徒然なるままに書いています。ダンス・ヨガ・映像制作、始めたい人、作ってみたい人、表現って何?と思う人はぜひ読んでみてください。

カウントが苦手です!

やや咳も出て鼻も詰まるなんか流行っているよなというこの頃。 しんせつスタジオの喋って談巣ぅ(だんすぅ)は話したいこともまだまだあって、少しずつ配信しています。 …

Podcast「しんせつスタジオのしゃべって談巣!」で配信中

ダンス講師としては結構オワってる発言かもしれないですね笑。1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8って大体の音楽が8拍子、エイトカウントなど、その曲の所謂「拍子」に合わせて、はめ込んで、振り付けを作って、振り付けを渡す、振り写しをするっていうのはよくある方法かなと思います。

私は昔からなんですけれども、エイトカウントが、、、とてもカウントをとることが苦手で、もう音楽を聴いたら、音楽を聴いたままに振り付けを作ってるのですよね。

だから、ドンときて!
ワーッとして!
フーッていうところでパッと回って!

とか、なんかそういうもう意味わかんない伝え方を昔からすごくやっていて、高校時代は、カウントが正確な子がカウントが移すたびになんか変わる私へイラついたのか「いいから自由に踊れ!」といい、「2で飛んで、4で回るのね」とか、なんか色々合わせてくれてやっとみんなで揃うみたいな感じだったんですよね。困ったものです。

もちろん講師となったからにはそういうわけにはいかないので、ちゃんとカウントにはめて振り付けも作るんですけど、1回、自由に踊ってみて、カウントでハメると大体この辺だなみたいなのが、それ自体は他のダンサーさんもやってることかもしれないですよね。

そういう作り方をしてるんだけど、いかんせんやっぱり数えてるとズレるというか、そもそも音楽そのものに合わせて作ってるのに、それをなんかカウントにハメちゃうっていうのは、私としては非常にやりにくいナンセンスなんですよね。

カウントは共通言語

でもカウントにはめれば、ダンスという不確実な表現を伝える共通言語となり、他者に伝わりやすいですよね。特に振り付けのクラス、曲を聴き込んでめちゃくちゃ知ってる先生と、その曲を初めて聴く生徒さんが、お互いにパイプで繋がれるように、そのカウントっていうのは必要とされることだというのは十分分かります。

そんな「ここのフーッ!ってところで足あげるの」とか言われても知らないよみたいな感じじゃないですか。それを繋ぐのはやっぱりカウントではないかなと思うし、ユニゾンとかを正確に綺麗に合わせるためには、そういうニュアンスだけではどうしても上手くいかないところがあると思います。

解決してくれたのはある本

私のこういうなんかモヤモヤを解決してくれるようなことが、『ダンス学習法』というかなり年代物な書籍に書いてありました。(昭和49年、お茶の水大学教授、松本千代栄さん翻訳)。ちなみに厚さは多分3cmぐらいあるかな。分厚い本なんですけど、この本がすっごい面白くて、もう私はダンスの講師になるまでにこの本にとても頼っています。そこから関連する一部を引用させていただきます。

「詩を手掛かりに」っていうセクションにて。「低学年の子供と高学年の子供どちらにとっても、最も一般的で簡単なダンス創作の方法は、歌からアプローチする方法である。 〜中略〜 ダンスのアイデアは、ダンスのアイデアや意味は、歌の言葉にある程度近いものになる。これによって作品作りは容易になり、作業に入る前に行われるべき選択や思考や決定は少なくて済む。」

「初心者が陥りやすい難点は、その言葉を文字通りに解釈することである。これは不必要なことである。その言葉の文字よりも心が捉えられなければならない。」

ちょっと飛ばしますが、別のところの詩に、詩を手掛かりに創作をするというところの場面では、「子供たちの詩の鑑賞は、単に読む、理解する、記憶する以上の何者かであると専門家は信じている。詩は律動的な表現的な言語描写によって子供たちの関心を引く。詩の意味を自分なりに解釈し、それをダンスに表現することは、詩そのものにそのような解釈を与えるという体験であると言える。」

最後には、ある詩の意味をダンスを媒介にして運動で再創造することが十分にできるかどうかを優れた感覚を持っている教師は知っている。自分のクラスの能力を分かっている。」

こういった内容が書いてありました。これを読んだ時に、やっぱりカウントにはめなきゃいけないとか、そういう考えじゃなくてもいいのかなと思ったのです。詩を、言葉をその言葉という音が紡ぐ音も全て感覚で受け取ってそれを再構築、自分の体を通して表現し直すというか。だから全く別物にはならず、その音楽あってこそのダンスになる

自分の感覚で頼ってきたところをこういう本とかの言葉を借りて、私はいつも洗っているのですが(みんなもそうかな、だからその時々で、響く言葉も、同じ言葉でも響くシチュエーションが違ったりしますよね)、私が思ってることはこういうことだったのかもなと思えたのです。

行間ににじむ「動き」

ところで私は藤井風さんが好きなのです。生徒さんも藤井風さんが大好きな人たちがいて振付ナンバー作ったりしています。藤井風日本語は、メロディーはシンプルに見えて複雑。聞いている方にも直感的位にい伝わるところが多い気がします。

例えば「空」っていう言葉が出てきたりすると、両手で天を仰いだりとか、「走り出す」とか言ったら走るとか、なんかそういう言葉を、言葉通り、文字を文字通りに、行為やイメージをマイムみたいに表現するのではなくて、その音を聴いて、その文字が乗せられてるメロディーを聴いて、そういう間を聴いて、なんかそれらを全部、全部体で感じてみた時に出てくる動きっていうのが振り付けになると思うんです。

口で言うのは簡単ですけれど、それをいきなりやってって言われてももちろん難しいので、そこまではやっぱりある程度体のダンスに対する基礎的なスキルがあったり、レパートリーっていう言い方してしまいますが、ジャンルによってこう突き詰めてきた動きから生み出せるものっていうのはあると思うので、いろんな体の使い方をしてみて、地図に、いろんなパターンの道を書き込んでおくような、そういう過程もあっていいのかなと。

だから、突然歌に合わせて自由に動いてみて、マイムじゃだめ、直接表現しないでって言われたところで難しいのではないかなとは思います。

今後、挑戦してみたいのは、私のクラスでカウントするの思い切ってやめてみること!私が体のままに動いたものを人にうつそうとしたらどんな風になるのか?そしてそれを見た私がまた作って足して引いて、、、とリフレクションをレ持ちつつ、体を動かす過程を持ちたい(放送当時は2024年10月、これを12月に実践してみました、また後日そのことも書きたい!)。

あとは歌詞を私はノートにこう書き写して、英語でも日本語でも、歌い手作り手はどんなことを言わんとしてるのかなと調べるのですが、その行間ににじむ、ただよっているものを感じる、想う・・・そういった作業など、私の振付づくり・創作の過程を共有してみたり、ただダンスが上手くなる、から表現がゆたかになる、ところまでしんせつスタジオ北久里浜店はレベルを上げたいです。

(振付ってどうやってつくっているの?についてもそのうち発信してみます)

表現は人生経験あってこそ

ダンスは人生経験が物を言うというか、豊かに現れてきます。どんな仕事でもどんな表現でもそうかもしれないけど。「こどもは真っさらな表現ができる」と聞くけど、別に真っさらではないと思う。生まれた時に父母やもっと前からの遺伝子たるもの、刻まれたものを引っ提げているかもしれないですし。そしてこどもだって何年か、生きてるわけですから。こどもも大人も、その生きてる時間・空間によって出せる表現の味わいとか深さは違うと思います。

でも大人っていうのはやっぱり何だろう、重ねてきたものの量が、こどもに比べて相対的に多いので、同じ歌詞とか同じ言葉を聴いても多分思い返されるものとか感じるものが違うんだと思うんですね。だから、同じ動きでも深さが垣間見える。

大人になればなるほど動きにくいとか速さに追いつけないとかそういった声もあるけど、それも含めての音楽を聴いた素直な体の反応なんじゃないかなっていう風に思っています。しんせつスタジオではとにかく表現に向き合うことを応援したいです。

話は最初に戻りますけど、エイトカウントは必要。結論はカウントは必要です。カウントするか、音楽を聴いて自由に動いてみるかっていうのを選択し、どちらもできるようなればいいと考えます。どちらかしかできない、またはどちらかしかしない(好き嫌い、自己流など)という状態は、とても表現の幅や自分のやりたいことに制限がかかります。ダンスや表現だけでなく、仕事でも、コミュニケーションの取り方でも、なんでもそうですよね!カウントできないっていう状態よりももちろんできたほうがいいし、音楽に合わせて自由に、その行間で自分で捉えながら動くっていう楽しみ方も、カウント取りしかやってこなかった人へはあるよって言う風に、知ってほしいなと感じます。

追記:間に合う!が最強

ここからはポッドキャストでは話していない「間に合う」について。

よく間に合ったー!というとギリギリセーフなことを指すことが日常では多いですよね。私も万年遅刻魔なので← よく使いますが。

「間に合う」とは、どのような意味かというと

  1. うまく時が合って、また、きまった時間におくれずに、事が運ぶ。 「電車に―」
  2. その場の必要を満たす。 Oxford Languages

一音中にもさらに細かく音はあって、その一音の最初の方でとるか、次の音に近いところでとるか、で合わせる動きは全く変わります!一糸乱れぬ群舞などは、まさに、この間を細かく細かく厳密に合わせているわけです。

だから、ましてやエイトカウントとざっくり8分割したそのうちの1カウントなんて、行間が広すぎるわけです。

間に合うというのはその一音という空間をギリギリいっぱいまで使って合わせて踊るような、そのような感じがします。

文章では伝わりにくいかなー。
言いたいことは私が「間に合わせて!」という時はつまり「行間を読んで!」と言っているようなもので、遅れるなとはまた違う、結果的に間にちゃんと合えば、遅れていないことになるわけです。

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投稿者プロフィール

三浦桃実
三浦桃実
看護師、ダンスファシリテーター、ヨガファシリテーター、シネマトグラファー。しんせつスタジオ代表。神奈川総合高校にて創作ダンスに出会い、神奈川県立保健福祉大学にて親切ダンスカンパニーを設立。様々な領域や枠を越えたメンバーで、地域に繰り出し踊ってきた。ダンスを言語として捉え、自分の思いを自然な動きで伝えるダンスのスタイルを編んでいる最中。ヨガ指導資格をリブウェルインスティテュートにて取得し、Bowspringや親子ヨガ、スタイルアップヨガなど、毎回哲学的なテーマを織り込んだオリジナルのクラスを提供する。ダンスもヨガも、ユーザー(参加者)と作り上げるスタイルが定評。またシネマトグラファーとして、依頼主の作りたい世界観を築き創るコンセプトで動画制作を行っている。
ユーザーさんたちが、自分が昨日よりちょっとかっこよくなっていることに気づいてもらえるように、スキルを活かして日々邁進中。モットーは「地球規模で考え、地元で行動」「しんせつなひと」
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看護師、保健師、RYT(全米ヨガアライアンス)500、メディテーション(瞑想)講師、JCDN主催コミュニティダンスファシリテーター養成講座修了生

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