手間ひまかけて煮込んだ表現

しんせつスタジオスタッフが日頃思う自己表現についての考察や哲学っぽいことを徒然なるままに書いています。ダンス・ヨガ・映像制作、始めたい人、作ってみたい人、表現って何?と思う人はぜひ読んでみてください。

手間をかけるということ

しゃべって談巣 アンサーソング by クラウド社員しんせつスタジオが不定期に更新しているポッドキャストの中から、クラウド社員が勝手に内容の感想や思うことを綴る、まる…

しんせつスタジオスタッフ、クラウド社員の記事です。クラウドさんは私のPodcast「しんせつスタジオのしゃべって談巣!」で私がピーチクパーチク話すことについて、アンサーソングという形で答えてくれるのですが、今日は私がアンサーソングにアンサーする必殺アンサー返しです。

なのでぜひ上記のしんせつスタジオクラウド社員記事を読んでみてから、私のつぶやきもご覧くださいませ。

手間、とは

手間を省いて、できた時間で、実際私たちは何をしているのだろうか。

手間とは、辞書では「仕事を仕上げるのにいる労力・時間」とある。私はこれまで色々な舞台に出演、企画に参加してきたが、一公演をつくるのに嘘でしょってくらい時間がかかる。なのに本番はあっという間に終わる。

時間をかける、というべきか。5分のダンスの作品作りだってその30倍以上の時間をかけて(表現者の質や稽古伝達の連続時間にももちろんよるが、人に見せられるようになる前提として)作る、週一のレッスンだったら数ヶ月かかってしまう。たった5分の作品のために。

手間は報われたい?

手間ひまかけてじっくり煮込んだビーフシチューと聞くと、うわー柔らかそう、とか色が濃そう(凝縮されていそう)、とか想像してしまう。とにかく手間ひまかけていないシチューよりもきっとその一口は濃くて衝撃の体験になりうるに違いない。ただもし聞いちゃった後だったなら、その言葉のマスクにより、実際に口にする頃には「もう絶対美味いに決まっている」という思い込みという究極のスパイス(バイアス)がかかってしまう。でもやっぱり手間かけたものはといいよね、と思われたなら、晴れて手間(ティマー)さんは報われる・・・。

夫婦二人の夕飯作りは3〜4品くらい、1時間はかかるけど、消費は一瞬。特に夫はマジで瞬殺。なんだか報われないと思ってしまう。手間をかけた時間と同じ時間をかけて味わってくれたらいいのかというとそういうものでもないけれど。

ちなみに私は外食に行った後でも、何故か家でまたご飯を作ってしまう。作らないと、食べた気になれないのだ(食べなくてももはやいい)

手間をかけるとついついその先の結果に期待しがちだ。これだけかけたのだから、良いこと・ものが待っているはずだ、と。

私は日頃から「他者に期待するべからず」と考えている。個体が違えば行動も考えも違うのは当然である。他者への怒りや暴力は、自分が勝手に抱いた期待がその通りにならなかった時に怒ることが多い気がする。だから本当は全て自分に起因している。100%他者のせいであることは実はそこまでないのではないか(ホ・オポノポノ的考えかもだけど)

だからと言って手間を省いたところで、その期待がなくなり平和に過ごせるかと言ったら全くそうではない。むしろなんの想像もはたらかせず、簡単に期待しすぎて簡単に期待裏切られすぎて、感情のコントロールが不十分、身体感覚は鈍る一方である。

手間を嫌う=創造の危機?

ところで、毎日新聞の2024年9月の記事に「読書月ゼロ冊6割」との見出しが1面にあった。文化庁の国語世論調査の結果だという。読書離れ=長文離れ、「長い文章を読むことは自分から遠い場所への読解力や想像力を必要とし、自分にとってはノイズ(関心の無い情報)となる知識も提供される。自分から遠く、ノイズとなる文脈を忌避している人が多いのではないか」と2面にはコメントされていた。

また、ナショナルジオグラフィックのweb版記事には快楽物質と呼ばれるホルモン「ドーパミン」について、こんな記事が書いてあった。

「ドーパミン断ち」の誤解
2019年に「ドーパミン断ち」という言葉を生み出した心理学者は、刺激がたくさんある社会に対する「解毒」の意味でこの言葉を使ったという。つまり、ドーパミンを急上昇させるような活動が簡単にできる状態は、読書や創作といった時間のかかる活動を楽しむ感覚を麻痺させる、という理屈だ。
画面を指先でタップするだけでほとんどのことができてしまう現代では、「事前の作業がほとんどいらない非常に強力な報酬」をドーパミン系に浴びせ続けていると、米スタンフォード大学医学部の精神医学・依存症医学教授で『ドーパミン中毒』(新潮社)の著者でもあるアンナ・レンブケ氏は言う。その結果、好きなことでもあまり満足できなくなってしまうが、それでもわれわれは「基本的なドーパミンレベルを通常の健全な状態に戻そうとして」好きなものを求め続けるのだとレンブケ氏は話す。」

手間がなくなると、「今ここ」にいられなくなる、新しい発見をしなくなる。Suicaなんかそう。もはや簡単すぎて使った後どこにしまったのか、そもそも使ったのかさえわからなくなる。乗り換え路線もいちいち調べなくなったから、近くにある駅のこともわからない。「あ、こんな近かったならよれば良かったな〜」なんて後で思うこともある。新しい発見というか、元あったものをちゃんと見られていないだけなのかもだけど。

ドーパミン断ちという言葉をそもそも知らなかったが、巷は「これさえあれば平気!」というハウツー本や、難しいことをダイジェストやサマリーにして伝える易しい解説本が売れている気がする。調べる手間も、読解の手間も省ける。でも読書もしないからそれさえも読まれ無くなっていくのか、否か。

手間は体に刻みつける創作の過程だと私は思う。高校時代の振付はなぜか覚えているのに、今インスタントに作った振付はすぐ忘れてしまう(若さとか記憶力の低下とか言わないで)。それは、あの時、苦労したけど手間をかけて作り、楽しい!ダンス楽しすぎる!と感じながら作った、その想いごと体に刻まれているからだと思う。

舞台が伝える“痛み”でも述べたが、身体感覚を通さないと人は大事なことを覚えられない。脳は体の全細胞数に比べたらちっぽけなものでだから忘れるようにできている。というよりも頭で覚えていないけど、体は本当に大事なことは忘れないように刻んでくれている気がする。細胞が一つ一つ覚えたことはちゃんとなくならない。でも代謝したら細胞も生まれ変わったり、死んだりするよね、、、体は不思議なものだ、さすが人へんに本とかいて「体」

身体表現に限らず、例えば本だって、出版までには相当の手間がかかる。情報の真偽もたくさんの人や機関の目を通してでないと、読者の元まで到達できない。一方、SNSやネットでの配信は誰でも簡単にできて便利だけれど情報の質は疑われる(私のブログはだいぶ長文で手間かけてますが)

手間=単にかかった時間ではないし比例するとも限らない。だったらわざわざ手間とは言わない。手間を嫌うことは、これ以上想像も創造もする気がないということ、創造する気がないということは、人間が持っている最大の武器を放棄している、生きる意義なし、ということではなかろうか。

できそうでできない

手間手間言っている割に、ダンス、舞台創作者としては、作品を見てもらって「手間かかってんなー」って思われるとちょっと負けた感が気がする。観客は素晴らしいと思って言ってくれているかもしれないのだけど、

私がちょっとかっこいいと思うのは「できそうでできない」「自分にもできそうと思わせるくらい簡単にやってるのに、(自分が)やったら全然できない」というやつ。そのレベルに達するまでには、「手間かかってんなー」なんかとっくに超えた手間以上の膨大な“手間”がかかっている。動画で見ているだけだと全然わからない。体を動かしてやっとわかることなのだ

もしかしたら振付は数分で覚えられたので時間かかっていないのかもしれない。でもその身体能力を積み上げてきたのはそれまでの人生だ。思いつきそうで思いつかない良いキャッチコピーも、一瞬でその人は閃いたかもしれない。でもその発想はこれまでの人生経験あってこそだ。

手間のかけ方が浅いものは、案外すぐバレてしまう。いちいち手間かかってますとは言わないけど、言っても良いとも思うし、私は、評価されたいとか完璧なものを作らねばというより(それもプロとして大事だけど)、手間をかけていないものを世に出すなんて恥ずかしいことはしたくない、しない、という思いで今日も舞台を創り、舞台に立たせていただいている。

手間ひまかけて、じっくり煮込んだ表現は、言わなくても、人を満足させるでしょう。

ところで、もーしが突然、「うちも新聞をとろうか。」と言ってきた。


気づけば二人ともいつも携帯かPCを見ている。知りたいことにすぐアクセスしたいから。そうしたら、時間が作れるはず・・・。

それって、なんのための時間だろう。
手間を省いて、できた時間で、実際私たちは何をしているのだろうか。


日常の手間、暇は、思考のよはく。創造のヒントはきっとそこにある。

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投稿者プロフィール

三浦桃実
三浦桃実
看護師、ダンスファシリテーター、ヨガファシリテーター、シネマトグラファー。しんせつスタジオ代表。神奈川総合高校にて創作ダンスに出会い、神奈川県立保健福祉大学にて親切ダンスカンパニーを設立。様々な領域や枠を越えたメンバーで、地域に繰り出し踊ってきた。ダンスを言語として捉え、自分の思いを自然な動きで伝えるダンスのスタイルを編んでいる最中。ヨガ指導資格をリブウェルインスティテュートにて取得し、Bowspringや親子ヨガ、スタイルアップヨガなど、毎回哲学的なテーマを織り込んだオリジナルのクラスを提供する。ダンスもヨガも、ユーザー(参加者)と作り上げるスタイルが定評。またシネマトグラファーとして、依頼主の作りたい世界観を築き創るコンセプトで動画制作を行っている。
ユーザーさんたちが、自分が昨日よりちょっとかっこよくなっていることに気づいてもらえるように、スキルを活かして日々邁進中。モットーは「地球規模で考え、地元で行動」「しんせつなひと」
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看護師、保健師、RYT(全米ヨガアライアンス)500、メディテーション(瞑想)講師、JCDN主催コミュニティダンスファシリテーター養成講座修了生

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