自分の人生に感動を
しんせつスタジオスタッフが日頃思う自己表現についての考察や哲学っぽいことを徒然なるままに書いています。ダンス・ヨガ・映像制作、始めたい人、作ってみたい人、表現って何?と思う人はぜひ読んでみてください。
最近、感動した?
突然ですが、あなたは最近、どんなことに感動しましたか? その感動は、誰か他人の素晴らしいパフォーマンスや物語から得たものでしょうか? それとも、あなた自身の努力や成長から生まれたものでしょうか?
実は、「感動」という体験は、私たちが生きる上で、非常に重要な意味を持っているととしるは考えています。それを脳科学とか人間の構造から考えたい、その「感動」について深掘りし、それが自己保存の本能を超えて挑戦する原動力となる理由を探っていきます!
ちなみに私のつらつらと綴ったものをnotebook LMがめちゃくちゃいい感じにまとめてくれたのでそれもついでに公開しちゃう!(笑)すごいねAI ちょっといい間違えもあるけど、対話形式になるだけで聞きやすくなるものですね
(ちなみにself-movedはあまり通じない表現だそう、自己感動…直訳っすねw)
https://notebooklm.google.com/notebook/75a46716-deea-49fc-834c-d00338aac8d3/audio
感動ってなんだろう?
そもそも「感動」とは一体何なのでしょうか? AIに尋ねてみたところ、「感動」とは価値に出会い、心が震え、変わること。記憶に刻まれ、人生を変えるきっかけになり得る体験であると言っています。
私はこの定義に加え、「感動」は「自己発見センサー」のようなものだと捉えています。私たちは日々様々な情報に触れていますが、その中で「これは自分にとって重要か?」という大まかな判断から選択を始める傾向がある、とマーケティングの森岡強さんの著書(確率思考の戦略論)にもあります。つまり、何かを見て「感動」するということは、それが「自分の人生にとって非常に重要なことである」というセンサーが働いている**証拠なのではないか!?
と、考えていたら、同じことを、みうらとしるよりももっと分かりやすく具体的に述べていたブログ記事があったのでご紹介します。
他人の人生に感動しすぎている?「自分から生み出す感動」の価値
私たちは日々、他人の素晴らしい創作物や人生のドラマに感動することが多いものです。私自身もアーティストのライブで体が震え、涙が止まらなくなった経験がありますし、スタジオの生徒さんの些細な成長にも感動を覚えます!
しかし、上記のブロガーの伊藤さん(良習慣の力!ブログ)の言葉を引用すると、「他人の人生に感動している人が多すぎる」という問題提起がなされています(彼もどこからかの引用のようですが)。もちろん他者への感動も素晴らしいことですが、伊藤さんは「自分から作り出す感動」の重要性を強調しています。
「自分から作り出す感動」は、体の内側から湧き上がってくるものであり、それは自分なりに頑張ったこと、目標を達成したこと、継続できたことなど、静かな内なる感情の動きなのかもしれない。
「自分に感動する」ことのハードルと挑戦
では、「自分に感動する」ためにはどうすれば良いのでしょうか? 伊藤さんは、それは「ハードルが高い」と言っていて・・・。なぜなら、そこには「時間」と「労力」(身体的な労力と心のエネルギー)の投下が不可欠だからです。膨大な時間と労力を費やし、目標をクリアすることによって、人は自分の努力に感動することができる。
私自身の経験を例に挙げると。高校時代、新入生歓迎会で見たジャズダンスのパフォーマンス(ダンス部chiffons)に、私は「めちゃくちゃかっこいい! 私もあれできるようになるのかな?」と強く感動しました。全くの未経験にもかかわらず、周りの反対を押し切って経験者だらけのダンス部に電撃入部!(と周りから言われた笑)
ダンスは「相当努力をしないと自分の体が追いつかない」ものであり、思うように動かせない、諦める、妥協する、どうせ遅いんだし始めたの、、、とTHE★言い訳マシーンとしる全開。
でもやめることはなかった。とにかく楽しかったから、絶対やめたくなくて、そうしてそうして、、、なんとスタジオ経営者になっているなんて、高校生の私は夢にも思っていないでしょう!
本当に、ダンスが私の人生を変えたのです。あの時感動したから、今の幸せな私がいる。
もちろんダンス以外の道でも、幸せに生きていたかもしれないけど。
「感動」は、時に困難で時間のかかる「挑戦」へと私たちを駆り立て、それを止まらなくさせるエンジンみたいなものなのかもしれない。
「感動」は生存に必要ない?~高次な欲求と「生きている実感」
ここで一つの疑問が…「感動」は、そもそも私たちが生きる上で本当に必要なものなのでしょうか?
人間は原始時代から、自己保存のために「戦って逃げる」という選択を繰り返し、変化なく生きることが最も安全だと考えられてきました。この本能的な視点から見れば、新しい習い事を始めたり、挑戦したりすることは、安全な選択とは言えず、時には「恥ずかしい」といった感情も、こうした本能に根ざしているのかもしれません。
そこでAIに質問
感動は本能に備わる機能か?
⇨『「自己保存的な、本能的な行動とは言えない」「根源的欲求」、特にマズローの欲求段階説で最も上位に位置する「自己実現欲求」と深く関連付けられています。』とのこと
「自分に感動したい」という欲求は、「人間であることを感じたい」という欲求であり、「生きている意味を実感したい」という欲求なのだ!とみうらは考えます。
脳科学的には、自分に感動するような体験時には、自己反省や内側の記憶・思考に関わる「DMN(デフォルトモードネットワーク)」という脳の領域が活性化すると考えられています。また前のめりに興奮して交感神経が活性化する一方、涙を流したり共感したり安堵したりリラックスする副交感神経も同時に働いている。交錯するような非常に複雑な反応(リアクション)なのです。
つまり、「感動」は、生き残るためには必須の機能ではないかもしれませんが、「生きていること」を実感するためには非常に重要なものであり、「人間が人間らしい、素晴らしい特権」なのだと私は思います。
あなたの人生に「感動」の余白を
「感動」は、私たちが人生を懸けて挑むべき壮大なプロセスであり、自分の体を目一杯使って感じるものであります。
「感動」は、生き残るために必要なものではないかもしれません。しかし、「生きていること」の意味を深く感じ、人生を豊かにするためには、かけがえのないものです。
あなたも、誰かの人生に感動するだけでなく、ぜひご自身の人生に感動する挑戦をしてみませんか? そこにはきっと、今よりもちょっとかっこいい自分に出会える喜びがあるはずです。
しんせつスタジオはあなたを待っています
もし「自分に感動する」という挑戦をしてみたいと思ったら、ぜひしんせつスタジオへ!私たちは、その感動センサーの思うままに皆んなが進むべく、寄り添い、共に伴走していきます。
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投稿者プロフィール

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看護師、ダンスファシリテーター、ヨガファシリテーター、シネマトグラファー。しんせつスタジオ代表。神奈川総合高校にて創作ダンスに出会い、神奈川県立保健福祉大学にて親切ダンスカンパニーを設立。様々な領域や枠を越えたメンバーで、地域に繰り出し踊ってきた。ダンスを言語として捉え、自分の思いを自然な動きで伝えるダンスのスタイルを編んでいる最中。ヨガ指導資格をリブウェルインスティテュートにて取得し、Bowspringや親子ヨガ、スタイルアップヨガなど、毎回哲学的なテーマを織り込んだオリジナルのクラスを提供する。ダンスもヨガも、ユーザー(参加者)と作り上げるスタイルが定評。またシネマトグラファーとして、依頼主の作りたい世界観を築き創るコンセプトで動画制作を行っている。
ユーザーさんたちが、自分が昨日よりちょっとかっこよくなっていることに気づいてもらえるように、スキルを活かして日々邁進中。モットーは「地球規模で考え、地元で行動」「しんせつなひと」
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看護師、保健師、RYT(全米ヨガアライアンス)500、メディテーション(瞑想)講師、JCDN主催コミュニティダンスファシリテーター養成講座修了生
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