自己肯定はもうやめよ
私の嫌いな言葉について
今日は、いつも大活躍のnotebookLMをそのまま掲載し、どんなやり取りの中で思考を整理しているか載せておこうと思います。作り直しが面倒くさい、、、ブログ用にまとめさせるとあまりに簡潔すぎちゃうからなのですが、、、ご容赦ください。
自己肯定感について考えていることは度々発信していますが、いろんな経験を経て変化しているものもありますし、今回大きな木かけとなったのはダンスができないと言われ続けているという人に出会ったところからです。
聞き流ししてくれる方はぜひ上のPodcast「しんせつスタジオのしゃべって談巣!」をご拝聴ください!
Beyond Self-Affirmation: Embracing Life Through Dance and Expression
この音声データは、ダンススタジオのオーナーが**「自己肯定」という言葉への違和感と、他者からの安易な評価について自身の考えを述べたものです。話し手は、安易に「ダンスができない」と決めつける行為が、個人の自己否定を招き、成長の機会を奪っている現状に警鐘を鳴らしています。AIとの対話を通じて、評価・肯定・否定・意見の定義を整理し、現代の自己肯定感は他者の眼差しに依存しすぎていると分析しています。最終的には、自分を無理に認めるのではなく、他者や現象も含めた生の営みをそのまま受け入れる「人生肯定」**というあり方を提唱しています。特に指導の現場において、具体的な分析とフィードバックを行うことが、個人の表現欲求を形にする鍵であると結論付けています。
「ダンスができない」という評価が生まれる仕組みを教えて
1. 「できない」とされる具体的・表面的な要因
一般的に「ダンスができない」と評価される際、大きく分けて以下の3つの要素が指摘されることが多いと述べられています。
- リズム感がない: 音楽のリズムに合わせられないこと。
- 振り付けが覚えられない: 提示された動きを記憶し、再現できないこと。
- みんなと合わせられない: 周囲の動きと調和させることができないこと。
これらの要素のいずれかが欠けていると見なされたとき、詳細な分析なしに「ダンスができない」という一言の一落的な評価として片付けられてしまう傾向があります。
2. 評価する側と受ける側のメカニズム
「できない」という評価が定着する背景には、コミュニケーション上の問題と自己防衛の心理が働いています。
- 具体的フィードバックの欠如: 「できない」という言葉だけでは、具体的に何が悪いのかが本人に伝わりません。本来の評価(批評)とは「分析した結果を返す」こと(例:腕の高さや音のズレの指摘)ですが、それがなされないまま抽象的なラベルだけが貼られています。
- 自己防衛としての受容: 言われた本人が「自分はできないんだ」と思い込むことは、一種の自己防衛でもあります。最初からスキルの低さを公言し、周囲の期待値を下げておくことで、失敗した時に受ける精神的なダメージ(落下する高さ)を最小限に抑えようとする心理が働いています。
3. 概念の混同(評価・否定・肯定の履き違え)
出典では、現代社会において**「評価」と「否定」が混同されている**ことが、この問題を複雑にしていると指摘されています。
- 評価=否定という認識: 少しでも改善点や客観的な事実(例:「テンポに遅れている」など)を指摘されると、それを「人格の否定」として受け取ってしまう構造があります。
- 存在と価値の混同: 本来「自己肯定」とは、自分の状態がどうであれ存在を認めること(人生肯定)であるはずですが、現在は「他人に良く評価される自分を肯定しなければならない」という評価軸への依存にすり替わっています。そのため、外部からの「できない」という評価が、そのまま自分の存在価値を下げる自己否定に繋がってしまうのです。
4. 「できない」という思い込み
話し手は、ダンスを外国語(語学)のようなものだと捉えています。
- 習得にかかる時間の無視: 振り付けを自分のものにするには相応の時間が必要ですが、その過程を飛ばして「できない」と結論付けてしまうのは単なる思い込みです。
- 表現欲求の不在: 語学と同様、話したい内容(内側から湧き出すもの)がなければ形になりませんが、外側から付けられた振り付けをなぞるだけの段階で「できない」と判断されている側面もあります。
結論として、「ダンスができない」という評価は、具体的な課題の細分化を怠った大雑把な評価と、評価を否定と捉えてしまう心理的な防衛反応や価値観の混同によって生まれる仕組みであると言えます。
評価・肯定・意見・否定の4つを混同しないためのポイントは?
1. 「評価」を人格から切り離し、ツールとして扱う
- 分析結果を返すのが本来の評価: 評価(批評)とは、本来「分析した結果を返す」作業です。例えば、ダンスであれば「腕の高さ」や「音のズレ」といった客観的な事実を伝えることであり、人格を否定することではありません。
- 目的のために外部化する: 評価は「舞台で見えやすくするため」など、特定の目的に応じて使うツールとして捉えることが重要です。
- 評価=否定という思い込みを捨てる: 指摘を受けた際に「自分自身を否定された」と感じてしまうのは、評価と否定を混同している証拠です。
2. 「肯定」を「褒めること」と区別する
- そのままを認めるのが肯定: 肯定(アファメーション)とは、現状を「そのまま認める(受け取る)」ことであり、必ずしも「いいね」と褒めることではありません。
- 評価を挟まない: 例えば「今、こんな動きをしているね」と事実を口にすることは、評価を含まない「肯定」の作業です。
- 存在と価値を分ける: 「評価される自分を肯定しなければならない」という考えは、存在の話と価値の話を混同させています。本来の肯定は、自分の状態がどうであれ存在してよいと認めることです。
3. 「意見」を主観的な「違い」として捉える
- 「私はこう思う」で語る: 意見は「あなたは〜だ(断定・ラベル貼り)」ではなく、「私はこう思う」というアイ・メッセージで伝えるべきものです。
- 多様性を増やすもの: 意見の役割は、正解を決めることではなく、お互いの「違い」を明らかにし、多様性を増すことにあります。
4. 「自己肯定」よりも「人生肯定」を意識する
- 評価軸への依存をやめる: 「自己肯定」という言葉は、他人の評価や客観的な基準を前提としている場合が多く、それが苦しみを生む原因になります。
- 生きていること自体を肯定する: 自分を無理やり肯定しようとするのではなく、他人も含め「生きている楽しみ」をそのまま受け止める**「人生肯定」**という考え方を持つことが、否定や過度な評価から自由になる鍵となります。
このように、評価は「目的のための分析」、肯定は「ありのままの受容」、意見は「個人の主観」、**否定は「退けること」**とそれぞれの役割を明確に区別することが、健全なコミュニケーションと自己理解のポイントです。
みうらとしるがダンスを「語学」に例えるのはなぜですか?
1. 「話したい内容」がなければ意味がない
語学において、英語などがペラペラに喋れるとかっこいいというイメージがありますが、話し手は**「話したい内容がなければ、(言葉が喋れても)結局意味がない」**と指摘しています。ダンスも同様で、単に形をなぞるだけではなく、**内側から湧き出すもの(表現したい欲求)**がなければ表現として成り立たないという考えが背景にあります。
2. 「自分のもの」にするには時間がかかる
振り付けは、最初は外部から与えられた(付けられた)ものに過ぎません。それをいかに自分のものとして消化し、自由に扱えるようにするかというプロセスには、語学の習得と同じように相応の時間が必要です。
3. 「できない」という思い込みへの警鐘
多くの人が「ダンスができない」と結論づけてしまうのは、習得に必要な時間をかける前に諦めてしまっているからだと述べられています。
- 語学の習得に時間がかかるのが当たり前であるように、ダンスも**「時間をかけて体を動かし、練習を積み重ねる」**ことこそが本質です。
- 「できない」と決めつけるのは単なる大雑把な思い込みであり、実際には習得のプロセス(語学留学のようなもの)の途中にいるだけであるという視点が示されています。
このように、ダンスを単なる運動能力の問題ではなく、**「内なる思いを外に伝えるための手段」であり、「時間をかけて身につけるスキル」**であると捉えているため、語学という例えが用いられています。
ダンス指導において「評価を外部化する」とは具体的にどういうこと?
ダンス指導における「評価を外部化する」とは、評価をその人の人格や能力そのものに向けるのではなく、「特定の目的(舞台での見え方など)を達成するためのツール」として切り離して扱うことを指します。
具体的には、以下のような指導のあり方を意味しています。
1. 目的や目標に紐づけて伝える
評価を個人の資質の問題にするのではなく、「舞台で観客からどう見えるか」といった外部の目的に対する話にすり替えます。
- 具体例: 「あなたのダンスはダメだ」と言うのではなく、「舞台ではこの角度の方が動きがはっきり見えるよ」と伝える。
- このように伝えることで、評価は「自分への否定」ではなく、「作品を良くするための客観的なアドバイス」として機能します。
2. 分析した結果をフィードバックする
本来の評価(批評)とは、対象を細かく分析した結果を返す作業です。抽象的なラベルを貼るのではなく、具体的な事実を指摘します。
- 具体例: 「腕の高さをもっとこうしよう」「音楽のこの部分が少し遅れている(または早い)よ」といった具体的な身体の使い方の指摘です。
- これにより、「できない」という大雑把な評価から、修正可能な具体的な課題へと落とし込むことができます。
3. 「肯定」と使い分ける
指導の中で、評価と肯定を明確に分けることも重要です。
- 肯定(アファメーション): 評価を一切挟まず、「今、こんな動きをしているね」と客観的に起きている事実をそのまま認めることです。
- 評価の外部化: 肯定によって今の状態を受け入れた上で、必要な時だけ「目的(舞台など)」のために評価というツールを使います。
なぜ外部化が必要なのか
評価と自己否定が結びつきやすい現代において、評価を外部化しないと、少しの指摘でも「自分自身の価値が否定された」と感じてしまい、表現したい欲求が損なわれてしまうからです。
評価を外部化することで、指導を受ける側は「評価される自分」を肯定しなければならないというプレッシャーから解放され、より自由に自分の表現に向き合えるようになります。
子供への指導で「肯定」を実践する難しさとは?
話し手は、子供たちが自分の表現したい欲求を形にしやすくするために、「評価をしない(肯定する)」場を作ることが重要だと考えていますが、そこには以下のような特有の難しさがあると考えています。
1. 「褒めること」との混同
指導において「それいいね!」と褒めてしまうことがよくありますが、話し手はこれを**「自分の基準(物差し)による評価」**であると指摘しています。
- 本来の肯定(アファメーション)は、良し悪しの判断を挟まずに「今、こんな動きをしているね」と客観的に起きている事実をそのまま認める作業です。
- 「いいね」と言ってしまうことは、指導者側の価値観を押し付ける「評価」になってしまうため、純粋な肯定を実践することは非常に難しいのです。
2. 指導者という立場(肩書き)の壁
「講師」や「指導する」という立場に立つと、どうしても他人を評価する側になってしまいがちです。
- 話し手自身も、「講師」という肩書きで何かを言う際には今でも非常に悩み、葛藤しています。
- 評価から切り離された対等な伴走者(ディレクターのようなイメージ)として振る舞うことの難しさが語られています。
3. 効果的な「声かけ」の難易度
子供の表現欲求を引き出すためには、評価を排した「効果的な声かけ」が必要ですが、話し手はこれを**「今の私にはなかなか難しい、できない」**と吐露するほど高度な技術であると考えています。
- 単に子供を放っておけば良い(放任)というわけではなく、適切な肯定の作業を積み重ねることが、子供の表現を支えるためには不可欠だからです。
4. 社会的な価値観とのギャップ
現代社会では「良い評価を受ける自分を肯定しなければならない」という考えが強く、評価と肯定が混同されています。
- 子供たちが「評価されること」を前提に動いてしまう中で、評価を外部化し、存在そのものを認める「肯定」の場を維持し続けることには、教育的な信念と根気が必要とされます。
結論として、子供への指導における肯定の難しさは、**「指導者自身の基準で評価(称賛)したいという衝動を抑え、ありのままの事実を言葉にする」**という、指導者側の自己規律の難しさにあると言えます。
「自己肯定」よりも「人生肯定」を勧める理由は?
出典に基づき、話し手が「自己肯定」よりも「人生肯定」を勧める理由について解説します。
話し手は、現在の社会で語られる「自己肯定」という言葉の使われ方に違和感を持っており、サマーヒル・スクールの創設者ニールの言葉を借りて「人生肯定」という生き方を提案しています。その主な理由は以下の通りです。
1. 自己肯定が「評価軸」に依存しているため
現在の「自己肯定感」というブームは、他人からの評価や客観的な基準を前提としていることが多いと指摘されています。
- 本来の肯定は「存在」の話であるはずなのに、現在は**「良く評価される自分を肯定しなければならない」という「価値」の話にすり替わっている**ため、自分を良く見せようと無理をしてしまい、結果的に苦しくなってしまうという構造があります。
- 自己肯定という言葉には「自分の基準で自分を褒める」というニュアンスが含まれがちですが、これも結局は自分に対する「評価」を行っていることに変わりありません。
2. 人生肯定は「存在そのもの」を受け入れるから
「人生肯定」は、自分という個人の枠を超えて、「生きている楽しみ」や「生きていること自体」をそのまま受け止める考え方です。
- 自分を無理やり肯定しようとしなくても、「生きていることは楽しい」「生きているだけでいい」と人生そのものを肯定できれば、評価の波に左右されずに済みます。
- これは、型にはめられて育つことよりも、より好ましい生き方であると述べられています。
3. 他人への否定や自己否定から解放されるため
「人生肯定」という視点を持つことは、自分だけでなく他人の存在を認めることにも繋がります。
- 自分の人生を肯定できていれば、他人に対して「ダンスができない」といった否定的なレッテルを貼る必要もなくなります。
- 自分自身に対しても、特定のスキル(ダンスができる・できない等)の有無にかかわらず、存在を認めることができるようになります。
4. 評価と存在を切り離すため
話し手は、評価(分析ツール)と肯定(ありのままを受け取ること)を混同しない場を作りたいと考えています。
- 「自己肯定」に縛られると評価から逃れられなくなりますが、「人生肯定」をベースに置くことで、評価を単なる「目的のためのツール」として外部化しやすくなります。
結論として、「自己肯定」が「条件付きの自己愛(評価される自分への執着)」に陥りやすいのに対し、「人生肯定」は「無条件の生への賛歌(存在そのものの受容)」であるため、より健やかに生きられる道として勧められています。
……………………………………
と、こんな感じです。最後に言いたかったのは、とにかく、人生肯定!!!!!!
ちなみにちょうどこんな話題
「なぜ人は自分を責めてしまうのか」 信田さよ子
自身の経験から、カウンセリングを全く信用していないみうらはぜひ読みたいのは「カウンセリングとは何か 変化するということ」東畑開人 も読みたいところ!
人生は短すぎて…どれだけの本が読めるのだろう?自分の考えを発信するのもいいけど、それよりもいろいろいい本、いい映画、いっぱいあるからそういうのをどんどん見て、紹介する方が私の今したいこと。
昔は、「こういう本読んでいる私って知的でしょ。」て他人に見せつけたいところが多くを占めていた気がするが(本棚が人を表すともいうしね)、そういうの今はないかなあ。むしろ、紹介したいって言ったけど、紹介するのも面倒くさい(笑)もう自分だけいい思いするだけでも十分だよと。
ありのままをみること、「肯定」するには、たくさんの視点を得て、一元的にものをみず、本質を掴む力が大事。どうしたら自分を肯定できるか?と悩む前にとにかくたくさんいろんな経験を積むべし本を読むべし=いろんな生き方を体感することが人生肯定だよ!
次回は永遠の課題?「リズム感」について、「センスの哲学」千葉雅也さん著書を紹介したい。
☪️しんせつスタジオ北久里浜店Instagram
🟥しんせつスタジオYouTube公式チャンネル
📻Podcast「しんせつスタジオのしゃべって談巣!」
#しんせつスタジオ #body #yohaku #story #contemporarydance #Bowspring #artthinking #slowmovement #videoproduction #yokosuka #キッズダンス #ダンス教室 #ヨガ教室 #映像制作 #横須賀 #アート思考 #レンタルスペース #beslow #こどもにしんせつであれ #しんせつ #レンタルスペース #レンタルスタジオ #レンスペ #駅近スタジオ
Feel your life, as it is... Shinsetsu Studio
しんせつスタジオ
投稿者プロフィール

最新の投稿
しんせつな独り言2026.05.08ぼくがここに
しんせつスタジオ北久里浜店2026.05.02しんせつな推し活
しんせつな独り言2026.04.21自己肯定はもうやめよ
しんせつな独り言2026.04.18こどもによはくある場所を




