さようなら、

「ある女の子のための犬のお話」 ダーチャ・マライーニ 望月紀子:訳

家族、猫のブナ、体内にしこりが見つかった。
それが脾臓にあって、悪性か良性かは脾臓ごと摘出して病理検査をしないとわからないという。放っておくと体内破裂して大出血の恐れもあると。脾臓摘出術の適応にあたるレベルらしい。でも全身麻酔の手術、麻酔に耐えられず術中死する可能性だってある。手術すればいいってものでもない。

頭は真っ白になって、健診の帰りの車で涙が止まらない。夫は黙って運転している。私は先に泣いてしまっている罪悪感にも苛まれる。

私は結婚してブナと出会って5年目くらいだけど、夫は彼の幼少期からずーっと一緒にいる、泣きたいのは夫だって同じはずなのに。

別に今すぐ死ぬって言われたわけではないのに、今そこにブナはちゃんといるのに、どうしてこんなに泣けてしまうのか。

このまま放っておいてもよくない。でも手術を選択すれば、死を早めてしまうかもしれない。「手術しなければよかった。例えば腫瘍で死ぬ運命だったとしても、少なくとも手術するよりは少し長く生きられただろうに。」ってなるんじゃないか。

それをブナは決められない。自分のことなのに決められない、私たちが決めるのだ。ブナの生き死にを、私たちが。

ブナは手術をすることになった。私は、夫が決めたことに従う。「だから言ったじゃない!」とか人のせいにするようなことは絶対しないと誓っていた。夫こそがブナのことを一番に考えていると思って。でもブナは選べない。私たちの手中にブナの運命がある。生きていてほしい、なんて、人間のエゴじゃないの?

でも、怖い。手術をすると決めてから手術日までは2週間ほどあった。その2週間の間にたくさん触れておこう、もしかしたら死ぬかもしれないのだからその日に。

そんなふうに気持ちを切り替えらるだろうか普通?日々は流れていくし、仕事だってするし、いつものように帰ったら玄関まで出迎えてくれてその頭をなでなでする。死を覚悟して、特別長くいようとか、そんなことした方が縁起悪いし。でももし本当に死んでしまったら?ああ、もっと一緒にいればよかったって後悔するだろう。

この2週間どう過ごせばいいのか。と思っている間に手術の前日になってしまった。やっぱりやめた方が、明日が最期になるかもしれないなんて、よくわかんないしどう考えてもどれだけ時間をかけてもわからなさすぎる感情を整理できずにいた。夫は手術を決めた時も、意外と淡々としていて(内心は違うのだけど)、もし自分たちに子どもがいたら手術をしないという選択はしないのと同じ、だと言う。それもそうだけど。

当日朝の医師の説明、同意書のサインを夫がしている間も、恥ずかしいが涙が止まらない。どうしよう。永遠にお別れ、なんてことが本当にあるのだろうか。


私は人の死を見てこなかったわけではない。看護師だったのだから、お看取りも何度も経験し、エンゼルケアもしてきた。でも、身内で死別したことが一度もない。亡くなった同い年の友人はいる。その子も大事な友達だった。向こうからすればただの同級生くらいだっただろうけど。亡くなったと聞いた時は、もう会えないということもよくわからなくて、ただメッセージ履歴が「またあおー!」って相手の一言に私が返していない状態で終わってて、なんだか、泣けてきた。

一生会えなくなる。永遠のお別れってどんな感じなのだろう。自然な流れで看取ることになったなら、自然なのだから仕方ないけど、ブナは予定していて、この日付で会えなくなる可能性がありますよ、なんてことになっているから、混乱して、訳がわからなくなる。ここ数日、身体が重くてやる気が何にも出にくくて、食欲すらわかない。

なんでも手に入る今の時代、手に入らないものは永遠の命くらいなのか。生活が豊かになった私たちは、一つ大事なものを失っている気がする。

「さようなら」だ。

「また連絡するね」「後で調べればいっか」「メールでご挨拶しないと」テキスト、という形でつながりやすくなって、どこにいても連絡が取れて、とても便利になったけど、別れがないから、「また後で」があるから、別れを軽んじているところがある。出会いは対面だけにして、顔も見えないのに繋がっているのはいっそやめたい。つながりすぎていて正直しんどくなることもある。

「さようなら」の語源を調べてみた。

さようならには大きく二つの意味があるとされる。一方は、古い「こと」が終わった時、そこに立ち止まり「さようであるならば」と確認し、訣別しつつ新しい「こと」に立ち向かう心の構えをさす。一方は「そうならねばならぬのなら」と、その別れを何かしら、不可避の定めとして受け止める。そこには無常観が漂う。(市長の手控え帖 No.161「あなたの国には 『さようなら』がある」 より)

この福島県白河市の鈴木和夫市長の記事はとてもいいからぜひ読んでほしい。

さようならってなんとなく成り立ちは知っていたけど、こんなに美しい言葉だったのか。私はつくづく日本語が母語でよかったと思っている人だけど、さようならの美しさを知る日が来るとは。

いや、知らない方がむしろ貧しいのかもしれない。「また」があるから、いちいち諦めたりしない。さようならを味わえないのはだいぶ心貧しいことなのかもしれない。

ブナとさようならするかもしれない。いつか来ることは絶対だけど、その日付が決まっているなんて。覚悟なんて簡単にできない。というか覚悟って何をどうしたら覚悟になるのか。

「さようであるならば」ーならば、どうする、とは具体的に言わない。世の中は、で、どうする、を追求しすぎている。どうって言えないこともあるじゃないか。30年ぽっちしか生きていないけど、それなりに生きてきてみて、いまだ経験したことのない、言葉にはできない感情があるのだと知った(今書いてみて、「無常感」というのが近いのかなと思う)。


手術は無事終わった。夫が電話で、無表情。どっち、どっちなんだよ。「あ、では明日迎えは何時に…。」と言っているのを聞いて、あ、成功したんだ、もう泣く寸前だが、油断ならない。「終わったって。今麻酔の後でうとうとしているって。」それを聞いて安心でどっと涙が溢れる。術前検査も含めれば朝9時から13時くらいまで、でも手術時間は1時間もなかったみたい。獣医さんすごい。ブナ、頑張った。

病院で対面した時は、なんだか信じられなくて、2度と会えなくなるかもしれなかった家族が、ピンと耳を立てて、目が見開いて、そんなブナがそこにいた。

全身麻酔の後、さらに病院で気が立っていたため鎮静もかけられてしまい、帰宅できたはいいが少し元気がない。食欲もいつもよりない。夜中に「いいから飯をくれ。」と言わんばかりのモノ落としバトルロワイヤルも、がつがつと喰らいつく様子も今とりあえずない。トイレや洗面台の隅の暗いところが、元々好きでじっとそこにいる。階段も術前の軽やかなステップではなく片足ずつそーっと上がっている。やっぱり傷はまだ痛いようだ。

手術は成功したけど、身体への負担を考えると、もしかしたら寿命を縮めたのかもしれない。ところで寿命ってなんだろう。さようならを引き延ばしたところで、本当にさようならできるように、私はなるのだろうか。

「生きとし生けるものすべてのように、犬にも自分の瀕死の苦しみを持つ権利がある。」「(略)・・・だがスピードと匿名性と言う全く現代的な要求のもとに忘れてはならない死ぬことへの神聖さがあるのだ。」ー冒頭写真の「ある女の子のための犬のお話」 ダーチャ・マライーニ 望月紀子:訳

「さようなら」はこの世の中で、私の中で一番得体の知れない、けど美しくてたぶん救われる言葉。句点「。」よりも読点「、」が似合う。先があって、続くから。

Life is a series of encounters. Treasure every moment, for it will not come again.

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投稿者プロフィール

三浦桃実
三浦桃実
看護師、ダンスファシリテーター、ヨガファシリテーター、シネマトグラファー。しんせつスタジオ代表。神奈川総合高校にて創作ダンスに出会い、神奈川県立保健福祉大学にて親切ダンスカンパニーを設立。様々な領域や枠を越えたメンバーで、地域に繰り出し踊ってきた。ダンスを言語として捉え、自分の思いを自然な動きで伝えるダンスのスタイルを編んでいる最中。ヨガ指導資格をリブウェルインスティテュートにて取得し、Bowspringや親子ヨガ、スタイルアップヨガなど、毎回哲学的なテーマを織り込んだオリジナルのクラスを提供する。ダンスもヨガも、ユーザー(参加者)と作り上げるスタイルが定評。またシネマトグラファーとして、依頼主の作りたい世界観を築き創るコンセプトで動画制作を行っている。
ユーザーさんたちが、自分が昨日よりちょっとかっこよくなっていることに気づいてもらえるように、スキルを活かして日々邁進中。モットーは「地球規模で考え、地元で行動」「しんせつなひと」
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看護師、保健師、RYT(全米ヨガアライアンス)500、メディテーション(瞑想)講師、JCDN主催コミュニティダンスファシリテーター養成講座修了生